東京大空襲の概要


今から約 80 年前、日本はアメリカ(USA)と戦争をしていました。
(注)当時、中国などとも戦争をしていて、この戦争を「アジア太平洋戦争」とも言います。

1945 年(昭和 20 年)8月に日本は敗戦しましたが、その約半年前の 3 月 10 日の午前零時頃から約 2 時間半、米空軍のB29 爆撃機 約 280 機が、東京下町を空爆しました。
まず、東京下町の本所、深川、西浅草、日本橋の 4 地点に大型焼夷弾を投下し、その焰を目印にして、その内部の人口密集地域に、1,600 トンもの焼夷弾を投下しました。
この焼夷弾は高性能のナパーム焼夷弾で、逃げ道を焰の壁で妨げられて、多くの住民が死傷しました。

(1) 当時、私は国民学校 3 年生。父がその 1 月に空爆で死亡したので、疎開先から西浅草の自宅に戻っていて、この空爆に遭遇しました。
家族 5 人は焰の中を逃げ廻り、全員火傷しましたが生き延びることが出来ました。

(2) この空爆の被害
① 爆撃直下地域は約 15 平方km(4km✕3.5km?)。主に現在の台東区、墨田区、江東区で、居住者約 60 万人のうち死者・行方不明が約 12 万人、負傷者は推定最大 40 万人(死傷率 8割)ともいわれていますが、その実数は不明です。
② 前項①以外の類焼地域は約 25 平方km。主に荒川区、中央区、千代田区の一部で、人口は約 40 万人。この地域は類焼なので、住民の死傷者は幸い少なかった。
③ この僅か 2 時間半の爆撃により、東京の下町約 40 平方km(6km✕6.5km?) が灰燼に帰し、死者を含めて約 100 万人の住民が被害を受けました。
(注)この焼失地域及び被害者数は、1923 年の関東大震災の被害と概ね重なる。

(3) 東京大空襲の被害は、原爆被害に較べ極めて認知度が低いのですが、その理由は、戦時中は日本政府が箝口令を敷き、戦後は占領軍(米軍)もその悲惨さを秘匿したためです。

(4)『東京大空襲』という場合、特にこの 3 月 10 日の空爆を指しますが、その後、東京だけで同規模の大空襲は 4 回、小規模のものを含めると約 120 回もありました。
その後、空爆は全国に及び、原爆投下で敗戦を受け入れた8月迄の僅か半年で 150 以上の大小の地方市街地が灰燼に帰しました。

(5) この日本空爆を計画し指揮したのが米航空軍のカーチス・ルメイで、彼はベトナム戦争の北爆も指揮しました。
ところが、驚くことにこのルメイに対して、戦後、佐藤内閣は、航空自衛隊の創設に貢献したとして「勲一等旭日大綬章」を授与しました。

(6) 東京大空襲の世界史的な意味
① 通常兵器を使用し、② 10万人以上の非戦闘員(その約8 割は女性と子供だといわれる)を、③ 計画的に、④ 僅か 2 時間半で、⑤ 虐殺した「人類史上最大の無差別虐殺事件」。

土師野 良明(一般社団法人日本学生エンターテイメント振興協会 理事長)


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